紛争か戦闘かの言葉遊び

朝、テレビをつけると、今日、2月22日はネコの日だと言っていた。 これで新しい商売の活性化でも狙っているのか、こうして何なりと名前を付けて記念日にしているが、その割に、国際ネコデーの日は、日本では聞いたことがない。 もう済んでしまったが、2月17日が国際ネコデーの日らしい。
日本海を東海とし、グリニッジ標準時があるにも関わらず、日本の時刻を世界標準時にするような事とどこか似ている。

ついでに、ハトに可愛がられ、金魚観賞の好きなシロネコと、同じシロネコがたくさんいろのを見た。
トルコのどこかの大学での事で20~30の白いネコが一室にいた写真だった。 今では観光名所にもなっているらしく、このネコを見る為にたくさん訪問者がいるとの事だった。

白いだけでなく、目の違い迄、同じのがいて、片目は黄色で、もう一方の目は青色だとの事だった。 これだと家にいたネコと全く同じだ。  黄色は太陽を表し、青色は深海の青を表しているとの事。 そのように言い伝えられている所を見ると、どうも昔から、こんなネコがいるらしい。

先週は、運転免許の更新に行ってきた。 自動車どころか自転車も持っていないのに、今更、運転免許証など何の必要もないのだけれど、部屋を出る事も無いし、何かあると、すぐ「免許書!」と、身分書の代わりに言われることもある。しかし、最近はそれもないので、必要性は全くなくなった。

久しぶりに街の様子でも見ようとの思いと、今までの習慣から、今回も更新に行って来た。

名古屋だけれど、前回、更新に行って以来、地下鉄など乗っていない。乗り換えの度に、まごついた。 構内での行先表示が解りにくい。
一つのホームに上下線があったり、片方だけのホームだったりと、ここで間違いないだろうと、ホームで待っていると、反対方向へ行く電車だったり、 乗り換えのホームへ行く通路だと思っていると、ただの出口だったりと、とにかく、一回づつ、まごつく。

うまく行ったのは、免許センター行のバスが出ている平針駅だけだった。
ここでは地下鉄を降りると、免許センターへは1番出口を出て、免許センター行きは二番のバスターミナルからと書いてあった。 通路の曲り角毎に大きな表示があったので、まごつかずに地下鉄を出て、バスに乗れたのは、ここだけだった。
初めて名古屋に来た外国人なら、まず解らないだろう。
半分あてずっぽうとカンで何とか目的地に到達できたものの、もう覚えていない。 5年前もこうして免許更新に来たが、当時もまごついた。 今回は乗り換えの為に通っていたコンコースに迄、以前にはなかったコーヒーショップが出来、人の往来も多く、更に分からなくなった。

パリの地下鉄はもっと複雑だが、ずっと分り易い。 行先の違うところも乗り換えなどして、随分、あちこち行ったが、何もためらう事もなかったし、どこへでも行けた。 あそこで、方角違いの所へ間違って行ったという覚えがない。

最初、まごつくのは、フランス語だけで、目的駅の駅名のスペルを覚えておけば、あとは、数字と駅名が示している。 結局、表示の問題なのでしょう。

先週から今週にかけてニュースがたくさん出て来た。 金正男暗殺、安倍晋三記念幼稚園、石原慎太郎百条委員会へ、共謀罪法案など。

金正男の件については、毎日、ワイドショーが一斉に取り上げているし、ニュースでも、しぶといくらいに取り上げられている。

しかし、誰が暗殺したかについては、他国で起こった事件など、尤もらしい理屈をいくら並べ、つなぎ合わせても、憶測の域を越えない。 我々は現場に居合わせた訳でもなく、その背景になる事情などほとんど知らない。 憶測と憶測で議論を戦わせても、そこから真実が引き出される事はない。 それにも関わらず、ワイドショーはこの議論で持ち切りだ。
安倍晋三記念幼稚園については国会で質問されていた。 ネットでは、幼稚園の写真も出ていたし、土地は10分の1の値段で手に入れたなど、その他、信じられないような写真や、それにまつわる証拠写真も出ていた。

園児は教育勅語を暗唱し、毎日、「理事長先生。 おはようございます」とあいさつしている映像も映っていた。 写真では園児が旧日本海軍兵士の帽子を被っているのが写っていたし、軍歌を歌うらしい。 保護者参列に現役かOBかは知らないが、自衛隊関係者が制服を着て参列していた。

この年齢では、自身の事を振り返ると、小学校入るまでは、ネコに喋っていた事の方が多かったので、これらの行動を見せられると、ちょっと考えられない出来事だった。
慎太郎先生の百条委員会出席については、異論をはさむ者はいないだろう。 テレビドラマもとんと面白くなくなって来たので、国民はみんな楽しみに待っている。

「テレビ中継も一部始終しっかり頼みますよ♪」と、期待がどんどん膨らんでいる。


共謀罪法案については、676から、277に絞って、法案提出の合意を得たらしいが、国民はその中身を知らない。 少なくとも277に絞ったその中身をリストに上げて発表してもらいたい。 それに何を削ったのか、それもしないで、ただ共謀罪が悪いとか良いとか言ってみても始まらない。

このように疑心暗鬼を生み出すから、三人同時にくしゃみをしたら共謀罪になる。と、勝手な解釈が世間に出回る。 又それをいくら議論してもトンチンカンな議論になるだけ。

「テロ防止法の定義がはっきりしない」

と反論している議員がいたが、テロ自体、社会のスキをついて、定義の合間を縫って出現してくる。 そんなものをどのように定義付けるのだろうか。
選挙になると、武器も爆弾も使用しない選挙妨害をやる者がいる。 投票所へ行く途中には、あちこちそんな者が待ち構えていて、ほのめかしや、不快感を与える。 投票所の入り口に迄、アンケート調査だとかメディアの名前を騙った者が、誰に投票するつもりなのかなどとやっている。

いざ、投票しようと、投票箱に来ると、その仲間が陣取っている。 こんな事までしても当選を狙い、政治に入り、行政を握りだす。

このような露骨な選挙違反は表立って見えないだけに、テロよりタチが悪い。 これをどう定義し、位置づけるのだろうか。
組織的な犯罪集団の定義を述べているが、その中に暴力団、麻薬売買組織などを並べている。 このような定義の落し穴は、この言葉から発する先入観で、それ以外の悪質な集団が密かに現れても、世間の視点は、先入観をもたらされているこのような集団へと簡単に向いてしまう。 これが現代の罠になり、現実の不都合な事がばれそうになると、こちらに世間の目を向けさせるという事になりかねない。

暴力団という言葉はいつから生まれて来たのだろうか。 少なくとも、昔はこんな言葉は使っていなかった。 これも痴漢、不審者と同じで、戦後、考えに考え抜かれて、不審者と同じように新しく生み出された言葉なのでしょう。

南スーダン派遣の自衛隊について、現地の日報で戦闘と書いてあるのを紛争に置き換えたようで、

「こんないい加減な言葉のゴマカシで真実をゆがめている」と、国会でもめていた。

しかし、真実は現実に自衛隊が現地に行って、既に活動している事であり、そこで活動している事について、「紛争か戦闘か」などと言ってみても、アホをバカと置き換えて、真実をゆがめていると言っているようなもので、内容自体が何一つ変わらない。 こんな事で、国会で長時間を費やしている。

共謀罪や「正しい人」とされるインチキな原理

国会では共謀罪の法案でもめている。 「そんなものが成立すれば、国民監視社会になる。 一部始終、個人の生活を覗き見られる事になる。とんでもない事が起きようとしている」と、法案に反対している。

「監視社会になる」と言っても、以前から既にネットなどで、そんな事をしている集団がいる事は既に随分言われている。 しかし、いくら騒いでも、それがなくなる兆候すらも見せない。

今、共謀罪に関して監視社会になると、初めての事のように言ってみた所で、こんな事をコソコソと集団でやっている者が既にいる限り、どこかピント外れな印象を受ける。

「そんな事をしている者を取り締まればどうなんだ!」と、言いたくなる。
「お前を監視している」と思わせぶりな事をして、もの欲しそうに、人の出入りや行動を時間に関わらず、やっているいるが、これが警察でなかったら、一体、どんな種類の者がこんな事をして時間を潰しているのだろうか。

まるで己が権力者にでもなったつもりでいるが、こうして社会を刑務所化し、人を囚人化し、人を孤立化させている。 不審者だの痴漢だのと言って、社会を疑心暗鬼に陥れ、自分達で勝手にこんなおぞましい行為を正当化させているから、その結果として、人を監視している行動そのものを正当化し、その理由付けにもしているのだろう。

正義のペテン。 正義は悪を創り出すことによって、これを非難、退治しようとする行動によって、表面ヅラにしろ、一層、正義が正義らしく見える。 それ自体にトリックを潜ますことができる。

ワルはこの原理をうまく利用する。 ただのアホ、スカでも、とは言っても、ある程度まともに見える顔でなければならないが、この動きを利用して「正しい人。 正義の人」に自らを押し上げる事が出来る。 これを集団のチカラで行う。 何でもないことにすぐ、集団化するのは、そのような意図の萌芽なのです。

我々のような世間一般、常日頃から、余りものを考えない大衆は、出来るだけ世間とは波風を立てず、せめて自分は「正しい人」でありたいと、ささやかながら、そんな思いで生活している。 年寄りなら、尚更、その傾向が強い。 こんな看板や肩書を振りかざさしてやって来られると、拒否も出来ず、ずるずると、望みもしない事を押し付けられるようになる。 このような集団はそこを狙い、取り込んでしまう。

人徳もないのに、いきなり、自分は「正しい者、正義の人」を振りかざし、高飛車に出てくるから、「上から目線」などの言葉が各所から出てくる。徳の裏付けもなく、こうしたインチキな正義が横行しているから、こんな事になる。
それに、その前段階の疑心暗鬼を社会に植え付けられているので、各々が孤立している。 こうして「正しい人。正義の人」のラッパや太鼓を大きく叩く者に、ふらふらと流されてしまう。

一度、こうして取り込まれると、何かがおかしいと思っても、もう、そこからは集団の圧力がかかり抜け出せなくなってしまう。 こんな事があるので、それぞれみんなが考えていた事とは、思いもよらぬ方向へと突っ走る事となる。

その根底にあるのは、「ワル者」を創り上げることによって、自らを「正しい人」の地位へ押し上げているに過ぎない事を最初の段階で見破らなければならない。

アホ、欲の深い者でさえ、この原理を利用し、悪者創りに成功すれば、「正しい人。正義の人」に、自らを押し上げる事が出来き、社会に堂々と、正義の人になって居座る事が出来るようになる。
順序をたどると、まず、社会を疑心暗鬼にし、人を孤立化する事から始まる。 人を孤立化してしまえば、他人の家の前にゴミを撒いたり、落書きしたりと、隣人同士を対立させるような事などを、コソコソやり始める。

ここに防犯パトロールなどの組織が生まれ、正しい事に動き出した者が現れたように、公然と人の監視をやり出す。 これが警察でなかったら、どんな種類の集団がやるのだろうか。

もう一つ例を取ると、大相撲で、暴力団幹部がまぶり付きで見ていたと話題になり、何度もニュースになった。 しかし、一般人は誰が暴力団で、相撲関係者なのか全く知らない。
黙って見ているのが何が悪いのか解らない。 知っているのはその関係者のみになる。 次には、

「暴力団をかぶりつきに座らせない。 相撲観戦も認めない」と言い出した。 その取り締まりに、警察から人が出向いて、その監視にしばらく来ていた。 その後は、その代わりになる者が、これみよがしに、力士の通り道に立ち、力士がそこを通る度に、テレビカメラに映るようになった。 相撲見ている者にはなじみの光景です。

カメラを通して、国民を監視しているとの印象を持たせたいのでしょう。

石原都政、善政と言われた時代に、「暴力団から、物を買わない。売ってはならない」と、都が条例を出して、人の集まる場所には、そのような文言の看板まで立てていた事もあった。

しかし、「売ってはならない。買ってもならない」と、言い出せば、どうして生活できるのだろうか。 生きて行く為には、食べなければならない。 しかし、こんな理不尽な看板を公園などに立てても、一度「正義の人」とされた者には、平気で言い出し、出来る。もうそこには、論理も理屈もない。

このような事を言い、正義ヅラをしながら、何とか銀行に数千億を焦げ付かしたとか、その他、今問題になっている豊洲の土地問題などたくさんの、不都合な国民に知られたくないような使途不明の税金が、こっそり流れてゆく。

悪者創りに精を出し、焦点を当てることによって、自らの不正への国民の目をふさぐ。 だから一層、事ある毎に、「暴力団がああ~」とやり出す。

しかし犯罪なら、法律がある。 それで取り締まれば良いのです。 取り締まる法律もなく不十分なら、審議を尽くして法律を作ればよい。 それが出来ないから、脇道から入って、こんな理不尽な事を言い出すのです。 人に植え付けた「正しい人」であるとの先入観をフルに利用し、そのスキをついてどんな事でもやり出す。
そして、今、まさにこんな時、「都に与えた損害を弁償して頂戴」とか、「豊洲の土地移転についての不明瞭な代金について、百条委員会でしっかり説明して頂戴」とか、尻の毛を一本一本、引き抜かれて悲鳴を上げそうな状況になった。 しかし、これも、選挙の際に有利に立とうと、現役でない年寄りが悪者になり、ただ騒いでいるだけで、時間が経てば、幽霊のオナラのように、全く知らないという顔をし、気が付けば、人気を得る為だけのお互いに示し合わせた芝居だったという事にもなりかねない。 そうでない事を世間はただ祈るばかり。

文部省の天下りで、一か月二回の通勤で、1000万円の給料。 「お~!」とか言って、みんな驚いているが、 ユウシュウナ人材を民間が雇用して何が悪い。とか。 屁理屈などいくらでも付いて来る。

もう、官僚の天下りについては、尻についた火の粉を振り払うように、子供の自殺に焦点が替わり、弱い者力のない者へと、物事をすり替えてゆく。

こうして、法外とも言える給料を貰って平気な顔をしていられる。 その陰には必ず、その犠牲になる者がいるという事なのです。 派遣社員で正社員の半分で甘んじなければならない弱者づくりとか、こうして下へ下へといじめの構図を持って行き、自らの不正の目隠しをして、たっぷり養分を吸い取る。 自殺者の数も先進国では群を抜いて高い。など挙げればいくらでもある。

小田原市かどこかで、「ほご、なめんなよ”!」とかのT シャツを着て、生活保護に的を絞って攻撃しているが、その陰には、こうした役人の不正が蔓延がある。 そこに焦点が当たらないように、悪者創りや弱者いじめで、おのれの不正の目隠しをする。 ここをあぶりだせば、遥かに大きい信じられないようなものが出てくるのに、こんな事で世間は誤魔化され、目隠しをされる。

それを役所は知らん顔して、担当が個人でやっている事だとして、懲罰にも掛けない。 こうした悪者創りへ、弱い者、物を言わない者へと、移転して、、今、問題になっている官僚が出勤もしないで、1000万とか、2000万円の給料を受け取れるようにしているから、こんな事が起こる。 ただ弱い立場の者へと非難をしてゴマカしているに過ぎない。 これでは、極端に貧しい者が出てくるのも当然なのです。 その基を探らない。

法律があっても名前だけで、思い通りにならないと、こんなウジ虫みたいなことをコソコソとやるだけの社会なのです。 それを多少の権限でも持っている者がやるだけに一層、タチが悪い。

学校ではいじめが横行し、福島では、菌と呼ばれていじめにあっているとか、言い出し、話題を常に、立場の弱い者、物が言えない者へとすり替えてゆく。 石原善政の時代にやっていた事と、結局は同じで、そこにあるのは、悪者創り、弱者づくりなのです。 それを救おうとして、又、正しい人が現れ、会議がもたれ、そこに焦点を当て、もっと大きい者、そこでどんな不正が行われているかについては、こうして目をつむらされる。

最近見たヒトラーの記録映画から

最近、年寄りが買い物に出かけ、駐車しようとして、ブレーキとアクセルを踏み間違え、事故を起こしたニュースが度々ある。 不思議とコンビニでの駐車場が多い。

自分にも同じような経験がある。 駐車スペースに入り、ブレーキを踏んで止まろうとすると、足がアクセルから離したつもりであっても、駐車場自体も狭く、どうカン違いするのか、まだアクセルの上に足が載ったままなのを、ブレーキと勘違いして踏んでしまう。 とっさに、ブレーキに踏み替えたが、これを年寄りはブレーキを踏んでいるつもりがアクセルで、そんなつもりがないので、踏むと前進するから慌てる。  まして、しっかり止まろうとすると、アクセルも強く踏んでしまう。 だから余計にびっくりする。

最近のブレーキ踏み違い事故では70代とか80代だと言っている。 とっさに機転を利かせて、ブレーキに踏み替えるにも、動作が鈍くなっているだけに間に合わない。

こんな事故もあった。
小学生の列に、軽トラが突っ込み、それも運転手は87歳で、家を出てから、どこを走っていたか解らないという。 ジグザグ運転をしてブレーキ跡がないとして現行犯逮捕された。

一億総活躍社会とお祭りのように騒がれるようになってから、気のせいか、70歳代のドライバーの事故が目立つようになった。 それに事故が起こった場合、道路での事故は単独では済まない。 運転している車が大きければ大きいほど巻き添えになる自動車の数も増える。

「一億総活躍社会 ♪」と、大きくラッパを吹けば吹くほど、メディアもこの種の事故ニュースを「ほら、みたことか!」と、喜んで取り上げる。

時代と共に、社会現象は多枝に渡り、その数は膨大になる。 そんなものを一つづつ取り上げて内容を吟味している暇もないのか、ただ数字の表れる多寡で全てを見て判断を下しているのか、その数字も他とのバランスを取って科学的、合理的だと思い込んでいるが、逐一その内容迄吟味していない。 そこにひずみが出来、問題が生まれる。

先日、ナシオナルジオグラフィーのTV番組で、ヒトラー台頭の記録映画をやっていた。 戦後、ずっと、この種の映画や記録映画は何度もやっていたので、今更、そんなものを見ても、それほど新鮮味もない。 しかし、繰り返し放送される。 余りにしぶとく放送されると、 些細な出来事をただ大きく取り上げているだけなのではないだろうかと、つい、疑問に思う人もいる。 そのような印象操作が行われていたのかも知れないと疑いを持つような者迄出てくる。

再び、ヒトラーの書いた本が出版されるようになった。 長い間、その本さえ、本屋には並んでいなかった。 余程、印象が悪かったのかとも思うが、昔はどこの本屋にでもヒトラーのこの本は書棚に並んでいた。 しかし、ある時期から、ぷっつりそれも止み、本屋からすっかり姿を消していた。

昔、買って読んだことがあるが、読めば、悪人が書いたような印象はない。 むしろ正義にあふれた事がたくさん書いてあった。  問題はそこなのです。

自身で考える事を失ってしまった大衆に、正義を振りかざして巻き込み集団化し、一つの標的をつくりその目標に向かう。 最後には、ヨーロッパを廃墟にした。
これはヒトラーだけの問題ではなく、時代を越えていつでも同じ事が起こる危険性がある。 正義ヅラした集団が現れ、悪者創りが行われ、それを通して集団の結束を高め、自ら創り上げたワルを懲らしめ、自分たちの行動が正しいと印象づけ、その行為を通して、政治に野心を燃やし、人気を得て、ますますその行動を正当化する。 今でもこんな事をやっている。

こんな方法で政治勢力が増して来ると、社会をアッという間に席巻するようになるし、行動パターンはヒトラーと同じになる。  現代社会が同じ事をやっていても、その過程が見えていない。 「ユダヤ人虐殺」に焦点が絞られ、それ以外の事は、悪者の対象がユダヤ人でないだけで、同じ過程で進んでいても、見えなくなってしまっている。

ヒトラーはユダヤ人を標的にし、悪者にすることによって、集団の結束を固め、ココロを一つにして破滅に向かった。その違いはあっても、根幹になる部分は構成要員の一つ「悪者を必要としている」点では共通している。

この番組の少し前、他チャンネルでハンナ・アーレント物語の映画でやっていた。 テレビのスウィッチを入れた時には、ハイデッカーの書斎に、ベッピンさんが訪問している場面で、映画は既に半分済んでいた。

そのベッピンさんがハンナ・アーレントだった。 戦後の思想家で、映画では、ハイデッカーの学生だった。

アイヒマンは、ヒトラーの右腕と言われ、ユダヤ人を集中キャンプへ送り込む列車を手際よく運営し、極悪人とされていた。 そのアイヒマンについて論評を書き、世間から不評を買った。

アイヒマンが南米で捕まり、裁判にかけられたいる様子を見て感じた事を論評を書いた。
アイヒマンが裁判中に言っていたのは、「自分でガス室に送り込んだことは一度もない。 上司の命令に従ったまでで、自分で殺人に手を下した事は一度もない」と、主張し、 それに、「上司の命令に従う事はカントの道徳では正しい事とされている。 わたしはそれを実践していただけだ」と言い出した。

ハンナ・アーレント自身、ユダヤ人で、戦時中にアメリカにのがれて来た一人で、アイヒマンの裁判を見て、このような事を「凡庸なる悪」と、論評し、イスラエルからだけでなく、在住のアメリカでさえ、大変なバッシングを受けた。 同胞からも、裏切り者扱いを受けて来た。 映画はそのようなストーリーだった。
ヒトラーだけを極悪人としてかたずけてしまうと、次に形を変えて、同じ人間が出て来た時、社会はどう解釈をするのだろうか。

アメリカの国防長官、マチス長官が日本に来ている様子をニュースはとらえていた。 何度も見ている内に、その風貌と姿勢から、何となく堀栄三さんを思い出した。

「大本営参謀の情報戦記」 副題に、情報無き国家の悲劇となっていた。 この本の著者で、最近、たまに名前を聞くようになった。 この本を買って読んだのは、4~5年前で比較的新しい。 読んでいて、本の一部の内容が、どこかで既に聴いた覚えがあった。  堀栄三さんがこの本を書かれるずっと前の事だった。

若い頃、この人から英語を習っていた。 この時に知った。 今でも顔は当時のままだけれど、よく覚えている。 まさか大本営で情報参謀をしていた人などと当時は想像もしなかった。 既に頭は白かったが、姿勢はしゃんとして、背も高く、温厚な人だった。

そんな人から、かぼちゃやイモみたいな者、4~5人前に、エイゴの物語をを解説してもらっていた。

その英語物語の一つにさえ思い出す。

若い女がトランクを持って見知らぬ街へ行くのに、長距離バスを待っているシーンがあった。 フラストレーションでどこか知らない街へ行って生活したい。 目的もなく、現状を逃れたい。 こんな思いで、バス停にトランク一つ持って立っていた孤独な状景だった。

「アメリカもあんなに豊かな国でさえ、不満があるのでしょうな」と、解説しながら言っていたの思い出す。 そのバスが全米を網羅しているグレイハウンドだった。

一体、この人、以前は何をしていた人なのだろうと、外国には詳しいし、そうかと言って商社マンという印象でもない。 そんな事をふと思った事もあった。

堀さんは映画で見る大本営の参謀からは、どこから見てもイメージが合わない。 戦時中でなかったせいかも知れないが、温厚で、出来の悪い者に質問して、責め立てるような事は一切しなかった。
やはりこのような話の一つ一つから、今、思い返せば、何らかの影響は受けているのでしょうか。
その後、アメリカへ行った時には、この時の潜在的な意識があったのか、グレイハウンドバスに乗ってアメリカを横断しているし、旅行していても、情報を集める姿勢は、堀栄三さんの話を何らかの形で聴いていた事による影響があるような気がして来る。

新製品の難しい取り扱い方やインチキな薬

 

先日、ニセ薬がニュースになっていた。 元々、商品自体の価格も高く、普通の人が買う薬でもない様だった。 たまたま、これが話題になったが、これ以外に、どうもインチキくさい薬もたくさん出回っているような気がする。

同じメーカーの薬が薬局で売られているのと半額か1/3の価格で売られているのを通販で見ることがある。 カネがないと、つい安いものばかりに目が向くので、ついそんなものを買ってしまう。  あまりにも価格が違うので、薬局で売られているのと、通販で売られているのと二つ買い、薬効を自分の身体で試してみた。

通販サイトで売られている安いモノは消費期限がほとんどない。 あってもせいぜい半年くらい残っている程度。 それだけではない。 薬効の違いは、身体の回復期に飲むのと、落ち込んで行く時に飲むのとでは、元々、効果の現れ方も違う。 だから断言はできない。 しかし、 効かない薬など、例え、安くとも買っても仕方がない。

安い薬を買って得したつもりになっていたが。 比較するモノがないと、それがインチキなモノなのか、いわくつきのモノなのかかさえも解らない。  これなど取り立ててインチキという程のものではないが、せめて、消費期限くらいサイトに表示してもよさそうなものだが、日本では、騙された者がバカ、アホになる仕組みが出来上がっている社会なので、そのような事は一切やらない。

気が付いた賢明な消費者は商品の買う場所や店を選択するようになるが、通販のこうした安物を売っている店でも、それで顧客が減る事もなさそうで、それを上回る数の事情の知らない消費者が次から次へと世代を超えて押し寄せてくる。
お中国の通販サイトでは、購買者が食品を買う場合でさえ、「消費期限表示を要求する」と、先日のドキュメンタリーで放送していた。

日本の場合には、トマトジュースを1ケース買っても、飲めば、ボトルの底に、沈殿したものが、へばりついている。 明らかに古いか、どこかに放置してあったか、のどちらかなのでしょうが、それでも当たり前の顔して、お得意様用として数%割り引いて、恩を付けて売っている。

正月前に、布団掃除機を買った。 ダニ取り機とも呼んでいる。 製品の能書きを読んでいると、「布団の中に潜んでいるダニを殺し、ダニの糞を取り除くなど」と書いてあった。

掃除機なら、余程のへそ曲がりでない限り、今の時代なら、扱い方も難しくないので、爺さん婆さん迄、みんな持っている。 しかし布団掃除機となると、外見は同じ様に見えても能書きを見る限り、掃除機とは違う。 知らないので、真っ先に電源を入れて、畳に詰まっているほこりやダニの糞でも取ろうとした。 後で、マニュアルを見ると、「ノズルが目詰まりするので、畳の上を這わせないでください」とか書かれてある。 掃除機の代わりにはならない。

普通の掃除機でも、布団の中のダニの糞などを取り除けると、以前、ネットでも読んだし、その為のノズルも売っていた。  それを買って布団を掃除してみた事がある。 しかし、何も変わった様子もないし、ただ面倒くさいだけだった。 こんな程度の効果なら、布団専用の掃除機など買ってみても無駄だと思い込んでいた。

製品も新しそうだったが、効果のない製品なら、ネットで叩く者が必ず出てくる。 しかし、「効果などない」という者はいたが、それほど必死になって叩いている者もいなかった。

アレルギー持ちの人にはお勧めの商品だとは書いてあったが、今までから能書きは立派で、インチキなモノを随分つかまされて来たから、何を言われても、まともに受け取れなくなってしまった。

どうせ長生きなどしないだろうし、生きている間だけでも苦しい思いをしたくない。 いすれにしても自分でやってみない事には、身体に合うものかどうかさえ解らず、とにかく買ってみた。
さて、注文し、商品が届くと、製品箱は最初から開封してあった。 マニュアルが付いていたが、これも誰かが既に読んで、格闘していたその息遣いまで感じるようだった。

第一印象は、「又、大変な物を買ってしまった!」

こんなものを買うのは、 常日頃から、布団の手入れなどをしている婆さん、又は主婦位な者だろうし、真っ先に興味を示しても不思議ではない。

アレルギー気味の婆さんなら尚更の事で、商品の能書きを見てほれ込んでしまう。 その点、男とは違う。 掃除機でそれに替えようとする。

布団カバーやシーツは常に洗っていても、布団までは洗う事はない。  まして、ほうきとホコリ払いで育って来た世代にとっては、そんなものが一体何の役にたつのかとの先入観が頭の底に沈殿している。 婆さんの場合は、外で、いろんな者と話をする機会も多いので、それなりに情報は入る。 男が布団のダニの話で他人と花が咲くことはない。


商品の考え方は新しい。 それだけに、ほうきで育った世代には、考え方も、取り扱いも難しい。 ダニを吸い上げるダクト、フィルターなど取り外せるようになっている。 しかし、それが出来ない。

ここでも解らないやつはアホかバカだという思想が貫かれている。 一度、外すと、元の状態に戻すのに手こずる。  爪がいくつもついていて、どこにはめるのかさえもわからない。一つづつ試しても元に戻らない。 爪を合わせるだけではおさまらない。更にそれをねじって、カチッとハメなければならない。 それがいくつもついている。 一つ納めれば、所定の位置にさえあわせ、ねじれば、あとは自動的にはまるが、 ツイッターやSNSを使って、ブイブイ言っている世代でない、年取った婆さんでは難しいだろうなと思えた。 爺さんでも、婆さんから、愚痴、小言で責め立てられない静かな環境で、何とか出来たものの、それでも随分考え、手こずった。

「おじいさんに相談して、元に戻してもらお♪」なんて、気楽な事を考えていると、

商品の考え方が新しいので、おじいさんとて、のつこつする。 それに、解らないと腹を立てる。 解らないと、頭に血が昇って、婆さんにトバッチリが罹って来ないとも限らない。

「娘が来た時に見てもらお♪」と、その場は何とか納めても、娘とて、50歳を超えていると、こんなものを見ると、イライラするのではないだろうか。
「そんな余計な物を買うからや! 返品せ~!」と、爺さんには相手にしてもらえないし、
娘は娘で「おばあさん、何でこんなもん買ったん!」と怒られる。
届いた開封された商品と、マニュアルの静かに格闘していた息遣いを見て、つい、そんな状景が思い浮かんだ。

とにかく、ダニ取り器を布団に駆けて、どれくらいの量が取れるのか、丁寧にやってみた。 そんなにびっくりするほどは採れないが、綿ほこりやそれらしき細かい物質が入っていた。 それがダニなのか糞なのかどうかは知らないが、布団カバーなど常に洗っていてもこんなものが出てくる。 そんなに期待もしていなかったが、その夜は珍しく眠っている最中に咳が出る事も無かった。 めずらしい事もある。

特段、アレルギーの無い人には、大して関係ないのかも知れませんが、眠っていて、咳が頻繁に出るという人には、案外、効果があるかも知れません。

問題は、マニュアルというか、製品自体の取り扱い方、考え方が、消費者に立っていない。取り扱っているのが、爺さんのせいかも知れませんが、第一段階のダクトにたまったホコリを捨てるのに、外したが、まだその中に、更に小さいフィルターがあり、それも外してしまうと、もう二度と元通りにならないような気がして、それを外して洗おうなどとの気はとても起こらない。 まだそこまで外した事がない。

色分けの数字で一致する点を合わせるように表示するなり、更に、まごつかない方法をいろいろ考えられるが、日本には、カシコイ人と、先進的な考えであふれていると思っているのか、突然、北京をベイジンと言って当たり前の顔をしている社会。 そんな事を言われても、初めて聞いた者には解りはしない。 それに対するイメージすら湧かない。

議員候補の試験や役人や政治家が大学の先生になる

昨今では、新聞、テレビが何かを勝手に持ち上げて騒いでいる。 これが世論だと勘違いしているのか、とるに足らない事まで世論調査の形で発表する。

商品や会社まで、ニュースかドキュメンタリーのような紛らわしい体裁で放送し長い時間放送しているし、 商品を一日何十回も何年も同じ広告を出して、まるで電波を独り占めにしているような露骨な印象を与えているようなもの迄ある。

一人がまともな事を言うと、ペテン師が危ういとでも感じるのか、ウソツキがそれに集団で取り囲み、ありとあらゆるウソ、デタラメを吹いて葬り去ろうとする。 ウソでも数の多い方が正しいとの風潮が出て来た。

ニュースの乏しい一週間だった。 以上のような事が続いているので、何を聞いても、もう、つまらないと思わせるようになったからなのでしょうか。

ネタがないのか、とうとう、議員を試験で選別して、これで選りすぐりの候補を立てると言い出した。
どこかの学校で、筆記試験のようなものをやっている場面がニュースで出ていた。 これが議員立候補の為の筆記試験だったようだ。

とうとうここまで落ちて来たかと思わせた。 少しでも権力らしいものを持つと、すぐこれに類した事を考えてやり出すのも最近の傾向だが、これが議員候補に迄及んできた。 しかし、今、一番社会に欠けているのが、「人徳」というもので、果たしてこんな試験でそれがあぶりだされてくるものだろうか。

試験というと、物事や事件を覚え、質問者の納得のいくような答えを出すのが試験で、それから外れると、不合格になる。 判定基準があるから、不合格者が出る。

コロンブスが1492年に新大陸発見。 これを覚え、知ったところで、それが人間のとくとどう結びつくのか、この程度の知識を問うなら、無限に近くあるし、日本で知られているのはその中の本のごく一部でしかない。 その中から適切な質問者に気に入る答えを出すのは要領だけ。 すると、質問者の能力は一体誰がきめるのだろうか。

芸能人がどこか現地へ出かけ、そこにそこにたくさんのファンが詰めかけ、その様子を、メディアが集まった人々にインタビューしている事がある。 そして、返ってくる答えは大体いつも決まっている。

「元気をもらいました」
「勇気をもらいました」

テレビを見ている視聴者もそれに同調して、そうかなと何となく思う。 しかし、これが効果を発揮したと見たのか、次第に、

落ちた人気を盛り返そうと、同じ事をやり出す者が出てくる。しかし、やっている事の動機が人気を立て直すことにあるので、 最初から違う。 そして、インタビューへと続く。

「元気をもらいました」
「勇気をもらいました」と、同じ事を云う。 しかし、
「お金をもらいました」という文言が落ちている。 落ちぶれた人気に人が集めるのも難しい。 そこには、お金で釣って人を集めるしかない。

だから、同じ事をしていても、

「元気をもらいました」
「勇気をもらいました」
「お金をもらいました」と続くなら、そうだろうなと納得する。
ところが最後の「お金をもらいました」の文言だけが落ちている。

エガオ、エガオとメディアが必要以上に言うようになった。 気持ちが暗くなって来た者に、そんな事を強要するかのようで、それでも足らないのか、更に、「明るい町内」とか、「朗らかな街角」とかのポスターが目立つようになった。

これでもかと、「地域のチカラ」だとか「地域のパワー」だとか称して、正しい人、善人らしき人々が街に繰り出す。

こんなものが現れ、立派な事をやっているように見えても、社会の雰囲気は一向に改善しない。 なぜなのだろうか。 むしろ、これとは逆の方向に向かっているのが不思議だ。

これらの正義や善が本物なら、社会も少しはまともな方向へ動き出してもよさそうなものだが、しかし、そうはならない。

既に、ウソやペテンが社会の主流を占めているから、うわべの正しい事の文言や、善行に騙されない。 人はそこには偽善しか見えないからで、その行動に、「人間の徳」というものがない見本のような社会を人は見抜いている。

それらが「人の役に立っている」とかの考えが見えず、やっている本人たちだけが勝手にそう 見ているだけで、自分達でそう言い聞かせて、ウソに酔っているだけなのです。 その善行や正義と蚊やらで、おのれの利益を引き出そうとする考えが、見え見えだからです。
ウソつきとペテン師の白熱した議論などいくら正しく善に見えても、それ自体がだましてやろうととの魂胆なのだから、そんなものに耳を傾けて熱心に聞いていても得るものがなく。終いには自分が馬鹿を見るだけの事でしかない。 それにも関わらず、人は余程何もすることがないのか、そんなものを性懲りもなく聞いて時間を潰している。

真面目な面構えを見せたペテン師がインタビューや対談に出てくると、それに、ウソつきを向かわせる。 こうして白熱した議論が行われ、我々は引き込まれてしまうが、我々にとって、何一つ足しにもならないし、役にも立たない議論が行われていたと思うのは、その後の結果からしかわからない。 そこにはウソとペテン、偽善がしっかり絡みついているからなのです。


NHK タクシー券を不正使用したとかで、ニュースになっていたが、もっと大きな事件、国民に一体、何の足しになるのかと思われる愚にもつかない、チカンや不審者で国民を洗脳し、聞いていても恥ずかしくなるような些細な事件にすり替えて綱紀粛正なとと言ってごまかしている。

「文科省の天下り」として大学の先生になったのが問題になっているが、これに対して、不正の認識がなかったとの事。 悪徳が余りにも当然の権利となってしまっているので、不正の認識すらない。 それに対する世間の非難に際して、

「いい人材を有効活用している」と、いつも決まった事を云う。 何かしなければならないと思ってか、5~6人処分したとの事。 トルコでは公務員のこうした不正処分の数は数万人に及ぶ。 これに比べ、日本の処分はどこかのどかな感じがする。 そしてほとぼりが冷めた頃、更にどこか、もっといい地位におさまっている。 笑い話にもならない。

それとは別に、行先もなく退職を迫られる者もいる。 その選別は誰がどの基準でおこなうのだろうか。

陥れられ、仕事さえない中で、こうした在職中に許認可権を持っている者達だけが、退職後も、地位と報酬を同時に手に入れることができ、何の苦労もなくラクな仕事を手に入れ、高額な給料を貰う。

それだけ、社会はその犠牲になる者がいる裏返しに過ぎないのだが、こんな事が平気で言える社会は、やはり、際限なくおめでたい社会なのでしょう。

日本の社会には、法律と呼ぶ名前だけがあるが、「なあなあ」の世界で、この「なあなあの世界では、アリとあらゆる不正が潜り込み、正義ヅラを装いながら、それで政治が成り立っている。  それが社会の今、一番の問題なのだという事の認識すらないのだろうか。

中東とアフリカの人種や政治環境

 

日曜日から月曜日にかけて各地で雪がたくさん降った。 めったに雪など降らない名古屋
でさえ雪が降り、気温も一段と下がった。 最近にはない事で、これに合わせるかのように、自分の足の調子も回復もせず、動けば動くで腰だるくなる。 とにかく早布団を敷いて早く横になって眠ることにした。

食事もほとんどとっていない。 いつもなら夜中に何度か目が覚めるが、痛みを少しでも和らげるつもりで飲んでいるアスピリンのような気がするが、これを飲むとほとんど眼も覚める事もなしに朝までぐっすり眠り込む事が出来る。

現代の過激主義の源流はパキスタンにあると言われる。 長い時間布団の中で横になっているので、何故、そうなのかと、過去をさかのぼって考えてみた。 やはり大国があらゆる角度から、パキスタンに興味を持ち出したかではないだろうか。 それに反発するかのように過激主義がこの地から生まれた。 何となくそのような考えで過去をたどって、世界地図をみると、

パキスタン周辺には、似たような名前の国がいくつかある。 ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、カザフスタン。 これら語尾が全てスタンが付いて終わる。 語尾が同じであれば、ここに何か共通したものがある。何だろうと、調べた。

そこで、どのような意味なのか調べてみると、パキスタンという国名は、どうもウルドウから来ているらしい。 Urdu語では、パキスタンのPak は 英語のPure を表し、Stan は land との事だと言っている者がいる。 これからPakistan の言葉を解釈すると、Pure-land となる。「ふ~ん」と、妙に感心した。

語尾がスタンと付く国名はどうもウルドウ語、元々、その地域を表し、トルコメニ人が住んでいる地域や土地をトルクメニスタンと言い、タジキ人が住んでいる地域や土地をタジキスタン、などと、こんな風になるのでしょう。

ウルドウ語はインドのドアブ地方とその近隣、それにパキスタンでは公用語として使われ、その使用人口は4900万人と言われている。 しかし、パキスタンの人口は2006年度の推計でも1億6000万人もいる。 すると、国民の半分以上は公用語としてのウルド―語以外の言語を使用しているという事になる。

パキスタンの公用語はウルドウ語だと言っても、パキスタンとインドでは、ウルド―語でも語彙の取り入れ方に違いがある。 パキスタンでは、ペルシャ語から多くの単語を取り入れていると言われ、それに文字はアラビア文字で書かれる。

他方、インド人が使うウルド―語は、サンスクリット語から単語を取り入れていると言われ、ウルド―語自体は言語系統的には、インドのヒンディー語に近く、全く異なった言語のように見えても、基は同じで、それが、アフガニスタンやトルクメニスタンなどの言葉となって語尾として残っている姿がぼんやり見えてくる。

それに、アフガニスタンとパキスタンの国境線などもとはなかった。 この地域は西欧人の目から見ると混沌としていたので、イギリスのインド植民地政府の Durand が1893年、ここに、Durand Line なる線を引いて、国境線としたのが始まりと言われている。
アフガニスタンの向こう隣のイランとは、言語は共有していたようで、イラン人がアフガニスタンに行っても、言葉はそのまま通じると言っていた事がある。  こんな所から見ても、パキスタンのウルド―語はペルシャ語から語彙をたくさん取り入れたと言われても、整合性はとれる。

昔は、イラン、アフガニスタン、パキスタンなど、混然一体となっていた。 そこでパキスタンの過激主義がアフガニスタンは入り活動を広げるのも、こうした環境を見れば、ごく当然の成り行きに見えてくる。
パキスタンと言っても、第二次世界大戦終了後に、元々、インドで一つであったものを
イスラム教徒をインドから分離独立して出来た国なので、こうして国境線が引かれ、細分化されても、世界の政治地図が変わったに過ぎず、人種が変わる訳でもない。 国が分断されたからとて、昔から一つのかたまりとしている種族が他国をまたいで存在し続けることには違いない。 これが後に、紛争を呼ぶ。
ソ連がアフガニスタンに侵攻したのもついこの間の出来事のようだが、これも、ソ連はその次の段階を想定し、パキスタンにまで手を伸ばし、アラビア海に出ようとしていたのではないだろうか。 ソ連、ロシアは、昔から常に、港を求めて他国と争いをしていたのは、歴史的事実を見ればあきらかな事で、ソ連侵攻についても、次の手筈はきちんと立てていたようにも思える。 ところがその道も閉ざされ、アフガニスタンからの撤退という事になってしまった。

当時、ソ連はインドと友好関係を結んでいて、パキスタンはそれに対抗するように、アメリカ側についた。 武器等もアメリカ製が多かったと言われた。 こうして、パキスタンとインドの対立関係は続いたが、アラビア海へ出る道は夢に終わった。
インドと友好関係を結んだところで、ロシアが海に出るには、その間、ヒマラヤ、や中国があるので連続しない。

パキスタンに過激主義が台頭するようになると、 パキスタンはアメリカから一歩引くようになり、そこに中国が進出して来た。

2015年にパキスタンのブルキスタン地域の港に、中国は40年の借地契約を結び、ここに特別経済地域を設け、China-Pakistan Corridor を計画していると言われている。

中国がアラビア海へのルートをこうして築き上げ、将来、アフリカから引っこ抜いて来た原料をここで荷揚げし、パキスタンを通過し中国に運ぶ。 こんな素晴らしい計画も見えてくる。

ナイジェリアのボコ・ハラムも有名になった。 ボコ・ハラムとは、現地語で、エイゴに訳せば、Islamic States West African Provence となるようです。 すると、文字から活動範囲を想像すると、 ボコハラムとして、ナイジェリアだけで活動している訳でもなさそう。

アルジェリアの石油プラントで、まさかと思っていた砂漠から集団が襲って来た事もあった。 周辺砂漠に囲まれた地域で、まさか、こんな所から人が襲って来る筈などないと勝手に我々が想像しているだけだったのもまだ覚えている人も多い。
サハラ砂漠には、昔から、地中海周辺のアラブ商人のキャラバン隊などを道案内して生計を立てていた種族がいた。 アラブ人は彼らの道案内でサハラ砂漠を越える事が出来、商売が出来たと言われている。

今日では交通手段が発達し、彼らの役割は終えたと言われているが、それで収入を得ることは出来なくなったからとて、彼らの習性まで消える事はない。 この種族は Tuareg of Sahara と呼び、Tuaregとはベールをかぶった人々を意味するが、このように、アフリカや中東にはまだまだ我々の知らない事、想像を超える事がたくさんある。

トルコの内憂外患

今年に入り、一段と冷え込んで来た。 一応、部屋にはガス・ストーブはあるが、まだ一度も点けていない。 万が一、人が来た時、部屋が冷え冷えし、余りの貧しさから、訪問者の涙をそそるような事があってもいけない。 借景のつもりでおいてある。 それも時が経ち、数年もすると、毎日ストーブを目にしているのに、ストーブのある事すら忘れてしまっていた。 スイッチのボタンを押せば、すぐ暖かくなるのに。

正月前にやり残した掃除を正月明けに再びやりはじめ、これがどうも身体の調子を悪くしてしまった。 流し台の近くに、もう10年以上前に市営住宅入居時に1000円で買った机があるが、これが食卓兼用になっている。 その上に本棚が置いてある。 そこへ、置き場所のない、その辺のガラクタ、買っても使い物にならないような品物とか、ついついこの棚に集まって来る。 一つ一つが小さくても多くなると重くなっているし、使わないので、ほこりが被って来る。 ショールのようなもので覆ってあるが、それでも、やはりほこりはたまる。

これを持ち上げて床に降ろしたのが間違いの元だった。 足首に負担がかかりすぎた。  今までに何度か同じ事をやっていたが、それ迄、しんどいとは思っても、一時的なもので、ここまでには至らなかった。 今回は、これにきっと、急に冷え込んだ寒さも手伝っていたのだろう。 悪い時には、悪い事が重なって来る。 どうも本棚の裏の悪いホコリまで吸いこんでしまったようだった。
翌日には、ゴミ捨てにも出なくてはならない。  一日中、何も食べずに寝ていた。
5時間毎にアスピリンを飲み、足は引きずってでも、とにかく歩けるようにしなくてはならない。 一度これをやってしまうと、2週間は思うように歩けない。 それに、これから、まだ苦痛のヤマがじんわりやって来る。 これだけに済まない。

横になって休んでいると、他の事は何も考えないで、お昼ご飯のおかずは何にしようとか、次に洗濯する者のリストを拵えるとか考える事もなし、しょうねを入れてテレビが見られる。

ワイドショーでは、チェーンソーで、宅配業者を脅したとして逮捕された事で話題になっていた。 トラックの運転手で27歳との事だったが、ユーチューブで人から注目を集める事で人気を得るのが生き甲斐だったらしい。

逮捕前に本人の自宅でどこかの記者がインタビューしていた。 当人は「こんなに人気がある」と言って、ファンから送られて来たイチゴや、カニを見せていた。 つい、度を越してしまって、結局、そのイチゴが毒イチゴになってしまった。

トラックの運転手には、昔から、このような、純情で単純な男が多かった。 悪気はないんだけれど、つい、短気になる。

トラックの運転手をしていると、いろんな地域でいろいろなものに出会う。  昼休みで、近くの食べ物屋へおかずとご飯を買って会社の事務所で昼飯を取ろうとした時、

おかずの卵焼きのようなパックを開け、一口、口に入れ、「まずッ!」「えらいものを買ってしまった!」と、思ったのか、つい口に出して言ってしまった。 やたらと甘く、口に合わなかった。  事務員が横にいた。 殆んど何も食べていないので、「捨てるのも、もったいないわな」 「他の運転手が帰って来た時に、食べさせたろ」

そう、言っていると、その時、運転手が一人帰って来た。
「兄い!いい時に返って来た」

「昼飯食べようとすると、おかずが余りにもおいしいので、これは自分だけで食べれば罰が当たる。 ぜひ兄いに先に食べてもらわないといかん。 食べんと残しときましたんや。 どうぞ食べておくれやす」

「お前も半分食えや」

「兄い、差し置いて、そんな物半分も食べられまへん。 わいのは他のものを買ってきますわ。 兄いが全部食べておくんなはれ」

先ほどの事務員は大声で笑いたそうな顔をしていたが、こらえていた。

その日の夕方、この兄いの運転手が、「おい、晩飯食いに行こうか。 お前はいい男や、 今日は俺がおごってやるよ。♪」

近所の中華料理屋でいろんなものを注文していたが、ラーメンを喰ったりビールを飲んだりして、会社の悪口などを言いながら、ほろ酔い気分で店を出ると、次は

「パチンコ。 行こか」

「悪いけど、わいはパチンコはやりまへん」

そう言って、そこで別れた。 そこまで付き合いはしなかった。
ユーチューバ動画アップを生きがいにしている今回の事件を起こした男を見て、ついこんな事を思い出した。

もう、こんな運転手はいないのでしょうが、昔でも、みんながみんなこんな事ではないにしろ、運転手の一面をよく表している。 この種の話は思い出せば他にもたくさんある。

トルコがニュースで取り上げられるようになった。 トルコは、最近、警察、検察、裁判所などから、たくさんの逮捕者を出している。 メディアもこれで閉鎖に追い込まれた新聞社があったりと話題になったが、その他、記者の中でも逮捕者を何人も出したりしている。

これだじけではない。 軍部や、教育省など、その他の公務員からも多数の逮捕者を出した。

どれも最近のクーデター関連だと言われているが、それにしても、クーデターでたくさん人を殺しておいて、ただでは済まさないという事なのだろう。 トルコで起こった事はそのままそっくり日本に当てはまる。 あのような状況が日本人一般に気が付いていないだけで、水面下で日本でも同じ事が進んでいる。

PKKと言われるクルド人による非合法の左翼集団も随分前から問題視されている。 彼らが標的にしているのは、トルコの新聞を読む限り、大体、治安部隊や警察を標的にしている。

その他の自爆テロはそれ以外のテロ組織だと言われているが、ここで問題を複雑にしているのは、昨年クーデターを起こして失敗したとされる集団、グレン教団が更にこれに多い被さって来る。

アメリカに居住しているグレン氏の強制送還に確固たる証拠がないとして、トルコの要求にアメリカが応じる気配がない。

トルコの言い分にすると、グレン教団が病院や学校など、世界に2000もの機関を短期間で作り上げたこと自体、外国の強大な組織のバックが無ければ、そんな事は不可能だと言う。

グレン氏は小学校しか出ていない。そんな男がどうしてここまで、世界に機関を多く持つ事が出来るのだろうとの疑問がこうして始まる。

グレン教団の活動を禁止している国は、トルコだけではない。 オランダ、ロシアなども禁止されている。

日本では、大学出たって、派遣社員で、給料をむしりとられながら働かなければならない者がたくさんいる中で、日本の常識で考えても、余程のウソツキかペテン師でない限り、こんな立身出世は実現できない。 学歴だけでは何も意味はなさないけれど、それにしても、世界に2000もの公共施設を自分で作るとなると、普通、常識では考えられない。
それに、グレン師の生まれた地域が、トルコではクルド人が多く住んでいると言われる南東部、 そのぎりぎりの北の地域で生まれている事から、何らかの関連があるのではないかとも言われている。

ネットでの付きまとい、ストーカー行為に法規制が加えられた。 こんな事を今まで見逃して来たのをも驚きに値するが、大体、こんな事をやっているのは、足が付かないように、他人を踏み台にして、バレタ時には、自分は頬かむりできるようにしている狡猾な者達なのは解るが、更に、他人のせいにしせいにして、アリもしない事を事実であるかのように吹き散らし、都合の悪い証拠が出てくると捻じ曲げる。 このように、とことんずるく狡猾でおぞましい事しかやらない。

現実の生活を見ても同じで、カルトは必ず、困難な事を成し遂げるには、他人を踏み台にする。 自分のワルサを他人にやらせ、そこに隠れて思いを遂げる。

ネットも同じ、現実の生活も同じ。 不快な事や、自分の気が進まないことが身の回りに起こっている場合、その点を余程、よく見る必要がある。 こうして人はペテンにかかり陥れられる。 その背後の実体にはこうして近づけないような仕組みが出来上がっている。
上から目線でものをいうとか、が最近よく聞かれるようになった。 NPO法人とか福祉法人の者がやって来る事がある。  役所に相談に行っても、そのような者が窓口に待ち構えている。

面倒を見てやると言わんばかりに近づいてくる事があるようだが、 人の役に立ってやろうとする人間が、最初からそんな嫌な雰囲気を漂わせているはずがない。  人徳がないからそのような態度が出るのであって、 本当に困った者は、みんなワラをもすがる気持ちになる。 カルトはそこを狙って人に近づいて来る。 元々、そんな動機で近づいて来た者は、その利用価値を目的にしているので、最後まで、どこか納得がいかない。 それを言葉で表す事が出来ない。 常に善や正義の仮面を被るので、それで騙される。 いくらそう装っても、羊の1頭。 ニワトリの1羽としか思っていない。 だから、「上から目線」とかの言葉がネットで氾濫する。

中国のアフリカ進出

謹賀新年

年も変わり、正月、ゆっくりテレビでも見ようと思っても、見たくなるようなものがない。 バラエティー番組と言っても、バラエティーに乏しく、テレビをつけると、いつもの様に同じ顔が出て来る。 他の局で何か新しい物でもやっていないかと、チャンネルを回しても、どこもそれほど変わらない。 一応、正月なのでお姉さんたちも着もの姿で出てくるが、京都の婆さんたちから、「あれでは寝巻きに見える」と、皮肉の一つも聞こえそうだが、つまらんことの一つでも言えば、集団で袋叩きに遭うと思っているのか、みんな口を閉ざしたまま。 どうも落ち着かない。 「スーパーマン」をやっているテレビがあったので、古い映画だったが、結局、それを見た。
中国関連では、南京大虐殺も以前ほど騒がなくなったが、韓国では再び、慰安婦像の除幕式が釜山で行われていたのを、得意分野なのか、TBSでは何度も何度もニュースで取り上げていた。 最初から、こんなインチキくさい事を祭り上げるから、こうなる。

日本がインドと原子力協定を結んだことについて、皮肉を言っている者がいた。 日本はインドにうまく取り込まれるだけで、結局、最後にはバカを見るという。

その理由というのは、インドは中国と国境線でもめている。 そうだからと言って、経済的には中国とは重要な貿易相手国だから、所詮、表面的な争いに過ぎない。 だから、日本はうまく騙され、結局、利用されるだけに終わる。 こんな趣旨だった。

地図帳を広げて、この辺りの国境を調べてみた。 パキスタンとカシミール地方で紛争が起きているのは、これまで、過去に何度もニュースで取り上げられてきたので、大体の事は我々のような庶民でも知っている。

しかし、インドと中国とのこの地での紛争はニュースではほとんど聞かない。 中国とはヒマラヤ山脈で遮られて、そのような紛争が起きないと信じているのかも知れない。

インドはカシミール地方がパキスタンとだけでなく、中国とも、中国と言っても、ウイグル自治区にに面しているのだけれど、国境がはっきり線引きがされていない。
それに、ブータンの東に位置するインド領が国際的に認められた中国、チベット自治区との国境線よりかなり南へインドを浸食する形で、新たな国境線が紛争地帯として表示されている。 更に、ここでは、核ミサイルがインドに向いて設置されていて、インドにとっては落ち着かない。 一国でも多く仲間を増やしたいと思うのも自然の流れなのです。

このように、インドは中国と西と東で国境線でもめていて、中国がいつ更に南下し来るか気が気ではない。
現在、中国の覇権主義でニュースになっているのは南シナ海と東シナ海が中心。 九段線とかの仮想のラインを引き、フィリッピンやその他の周辺諸国ぎりぎり迄はみ出し、まるで南シナ海は中国の内海であるかのような主張をしているが、チベットやウイグルでのこうした動きと合わせて、世界の警察としてアメリカが黙って見ている訳にはいかない。

中国の人口は10億以上いる。 インドもそれに負けないくらいいて、やがて中国を抜くと言われている。 このまま進めば、パワーバランスが崩れ、いつかはぶつかり合う。 世界には、そんな危機感を持つ指導者がいてもおかしくない。

他方、中国の経済面からその進出ぶりを見てみると、周辺国との貿易額の増加ばかりでなく、以前から言われているが、アフリカでの中国の進出はめざましい。 インドは中国とここまで張り合うほど伸びている様子がない。 例を挙げると、

現在、中国はケニアのモンバサからナイロビまで、鉄道を敷いているが、これに $14 billion を出している。 100 円換算で、1兆4千億円。 更に、ナイロビから、南スーダンへ延ばす計画もあるらしい。
アンゴラはナイジェリアに次ぐアフリカ第二の石油産出国と言われているが、アメリカが採掘井戸のほとんどを所有し、そこから採掘した石油の半分は中国へ輸出されている。

同時にアンゴラの港、Lobito  からコンゴ民主共和国迄、鉄道の改修工事もしている。

コンゴ民主共和国では資源が豊富で銅、金、ダイアモンド、コバルト、マンガンなどがあり、ここで取り出された資源の半分は中国へ輸出されている。 港までの鉄道が重要な道具になる。

国の内外から、何らかの資源をカジろうとする者も多く、ここでは紛争が絶えない。第二次世界大戦後、世界で最も激しい動乱が起きている国だと言われているが、中国はここに足をしっかり地につけている。

その他、スーダンや南アフリカなど中国が最大の貿易相手国になっている。 しかし、日本のメディアはこのような実態はほとんどニュースにしない。 例えニュースにしても何のつながりもない。

南京大虐殺で大騒ぎし、そんな事をいくら騒いでも新しい展開が開けるわけでもなし、議員までテレビでわいわい騒いで幸せに浸り、もうすぐ、中国の金融は崩壊するとか、内乱が起きてやがて中国は消滅するとか、いくらこんな事で騒いでみた所で、これらをざっと見ただけで、いかに中国は世界に進出を着実に進めているのがよく見える。

昨年、G7とかG20とか国際会議がナイロビで開かれた。 何故、ナイロビでこんなものが開かれたのか。 普通に見れば、こうした中国の動きに欧米諸国が危機感を募らせてきているとみると簡単に想像出来る。

ナイロビでの国際会議で、「ポチはどうした? ポチはどこへ行った!」 言ったら、
「ワン!」と言って、日本は3兆円の投資を気前よく表明した。

こうした中国のアフリカでの経済活動とのつながりがニュースには出ないので、この表明は唐突にしか聞こえない。 国民が貧乏で苦しんでいるのに、気前よく、いい恰好をして、アフリカに何が3兆円なのかと言う者が出てくるのも、この辺りが原因なのでしょう。

この中国の動きに対立するかのように、東南アジアで新幹線の契約の話がタイやシンガポール、インドと進んでいると、先日の3K新聞で載っていた。
これもこうしたアフリカでの中国の動きに合わせたものに過ぎない。

それに、日本が今後、アフリカに投資を増やすと言っても、まだ根本的な問題が残っている。 サービス残業とか、人材派遣とかで人を安い賃金で酷使するだけで、面倒な事は他人にやらせ、失敗は他人のせいにし、それに隠れて、コソコソと危機感もなく好い目をしている者が日本には多すぎる。

中国のアフリカ進出を見ると、鉄道を敷くのも、自分たちが現地で採掘する原料を港迄、運び出す為であるし、それも、ケニヤ東海岸のモンバサから、アンゴラの西海岸迄、アフリカを鉄道を横断させる大きな計画も見えてくる。

これと較べても、東南アジアの新幹線敷設がいくら最先端技術の結集だと言っても、そのような遠大な計画が見えてこない。

こんな日本の状況では、中国が一人勝ちするのも無理はない。 アフリカ投資と言っても、日本で一体、今、誰が喜んで、アフリカまで行って仕事をしようとする者がいるのだろうか。

人材派遣で他人の給料をピンハネする者はいても、日本では、大きな展望もなく、目先の事にしか目が向かないから、このような事態を引き起こしているのだろうけれど、こうして、本当の意味での人材が既に食い潰されてしまって、いなくなっているのが最大の問題なのではないだろうか。 笛や太鼓でいくら叩いても、それに乗って踊りに参加する者がいなくなっている。 祭りの太鼓はイヤホンで黙って踊れという時代なのだから仕方がない。

不安定な時代に入り、嫌がらせも再び活動を活発化し出した

今年も、クリスマスが終わり、もうすぐ正月がやって来る。 一体、この一年の間、何をしていたのだろうか。 毎年、そう思いながら一年が終わる。  ボケ防止に週に一度のブログを書いているが、些細な事でも思い出せない事がよくある。

物忘れは多いし、名前とか、昔、聴いた気に入っている曲名がどうしても思い出せなかったりする。 そればかり考えていると、ふと、最近、思い出したりするようになった。 以前は、忘れたら、もう忘れっぱなしで思い出す事などめったになかったし、そう思うと、ボケ防止にも、多少効果が出て来たのかなと思う。

糸魚川で数百件の家が燃えたニュースがあった。 丁度、同じ日に、注文していた本が届いた。 「ロンドン大火」という子供用の本ですが、子供用と言っても自分用に買った本です。 小学生2年生向きくらいの本でしょうか。

パン屋から出た火が、ロンドン中を燃やしたお話。 当時はロンドンでも木造の建物が多く道も狭かった。 その上、狭い道をロバや馬が荷物を運んでいた。

おしっこ、ウンコをまき散らしながら通る。 道端には汚物が落ちているし、夕方、薄暗くなった時、あなたのような美しい人が、パンやへ買い物に道を横切ると、足元でヌルッと何か踏んだような感触があると、それはきっと、お馬さんかロバさんが落としたものにまず間違いないかった。

物語にそんな事が書いてはありませんが、そんな隠れた事情もあったロンドンが一瞬にして、丸焼けになる迄のお話です。

バケツリレーで消火活動をしていても、全く効果もない。 消防ホースと言っても、水鉄砲のようなものでは、アッという間に火は広がる。

ロンドンが丸焼けになって、燃えるものがなくなり、ようやく火が治まったが、市中のあちこちの広場にはホームレスであふれた。 食べ物もない。

すると、腹は減って来るし、住む家もない。 その不満を誰にぶつけたりいいのか、イライラしていると、当時のイギリスの敵であるオランダが火をつけたものだと、誰ともなしに言いだした。

瞬く間にその噂が広まった。 すると、それに尾ひれがついて、

「オランダ、フランスの兵隊がロンドンに上陸してくる」と、言い出すと、人はパニックになり、武器になりそうなものは何でも持ち出した。

その騒ぎに、危機感を持った国王が、「この大火は単なる事故で、陰謀でも何でもない」と宣言して、これもようやく騒ぎがおさまった。

今のソーシャルネットワークで、ありもしない事を吹き散らすのと、よく似ている。 人はうまく行かなかったり、不満でいっぱいになると、こんなウソ、デタラメでも簡単に人は信じやすくなる。

やがて、ロンドンの再建が始まる。 このような災難を二度と繰り返さないようにと、建物は石作りにし、延焼が起こらないようにと、道幅も広くとり、建物が建ち始めると、それまでのロンドンの街とは完全に変わった。 話のあらすじはこのようなものです。

しかし、これも見方を変え、歴史をほんの少し遡ると、その1年程前には、ロンドンではペストが大流行していた。 辞書で調べると、

1664年から、1666年初頭にかけて、当時のロンドンの推定人口は46万人と言われている中で、7万5千から10万人がペストで死亡したと言われている。 その40年前にも、ロンドンでペストが流行し、4万人が死亡した。

こペストの災難の約1年後、1666年9月2日 日曜日から5日にかけてロンドンが丸焼けになった。

イギリスは紳士の国で落ち着いた冷静な国だと言われても、ちょっと歴史を見ると、イギリスもそれまではさんざんな目に遭っている。
こんな恐ろしいペスト菌を香港のペスト患者から発見して正体を突き止めたのが、北里柴三郎さんだったんですね。 フランスでも同時期に発見したと言われているが、いずれにしても世紀を変える偉大な発見なのです。  これ以降、世界でペスト菌での死亡者がなくなった。

世界は、再び、不安定な時代を迎えた。

Devide and rule policy という言葉がある。 南スーダンはこのような政策の基に出来たと、スーダンの新聞で見た。

中東で争いが続いているが、もうだいぶ以前になるが、イスラム教国の間には、我々のような厳格な国境という観念があまりないように感じた事がある。

だから、今、イラク、シリアも国境など無視した戦いとなっているし、トルコとシリアの間も国境がルーズだと言われ、中東に入ろうとする者はトルコ経由でシリアやイラクに入って来る。 ここに誤解が生じ、トルコがテロリストを支援していると言い出すものが出てくる。

社会主義国のアルジェリアでも人口が集中している地中海沿岸にチュニジアへ入る道路があり、国境があった。 しかし、そこには、踏切の遮断機のようなものはあったが、自動車が1台分くらいの小さいもので、人が一人椅子に座っているだけの簡素なものだった。 これが国境だと言われないと解らない。

現地の人間が「ちょっと買い物に行ってくると言えば、通してくれる」と、言ってくれた者がいたが、どんなものが様子を見に行ったけれど、「やあ、いいお天気で ♪」と言っただけで、そこは越えず、Uターンして戻って来た事がある。

万が一、戻る時に、その踏切に、人が替わって、「どこに行くつもりなんだ」と言われ、仕事に来ているのに、面倒な事にでもなれば大変だと思い越えなかったが、やはり日本人の持つ国境の考え方から抜け切れなかった。 現地人は、隣村のスーパーにでも買い物に国境を越えて行くようなものらしい。
砂漠に入ると、隣はリビア。 砂漠に国境のゲートがある訳でもない。 ラクダに乗って人は行き来をしているというのを聞いた。 だから国境を越えて、物品は出入りするし、ラクダが砂漠を超えて運んで来るのだから、何日もかかり、運賃が高いだけで、欲しい物は手に入ると言っていた者がいた。

アルジェリアはフランスから入国する際にはビザがいるし、それも書類をいくつも出してとにかく面倒だった。 ところがアルジェリアから、チュニジアへ入る時には、このように何もない。 ピストルや、ライフルで脅すような者もいなかった。 だから、住民も気楽に考えているようだった。

どうも同じイスラム教徒との国の間では、こんなものを見てくると、国境の観念が乏しいのかなとの印象を受けた事がある。 彼らにとって、国境とは西欧的な考えでしかないのだろう。

リビアではカダフィが倒れ、チュニジアで政権が代わり、エジプトも何人も変わった。 それにイラク、シリアと戦争が起きている。 、これらは全て旧オスマン帝国だった国で起こっている。

しばらくの間、なりを潜めていたカルトが、年末になり、再び、活動を始めた。 電話が鳴り、受話器を取ると、プツリと切ってしまう。とか、 集合住宅で住宅の入り口にポストがあるにも関わらず、わざわざ上に迄上がって来て、葬儀屋の広告をポストも付いていないのに入れに来るとか。 はよう死ねと言いたいのか、ほのめかしのつもりなのか。コソコソとこんな事をやり出した。

朝起きて窓を開けると、車でやって来て、わざわざヘッドライトをつけて、ここにいる。 お前の行動は監視していると言いたいのか。ストーカーまがいの事をやり出す。とか、

他人の部屋の前で立ち話をして、向かいの建物を向いて喋るとか、こんな事をコソコソやられても当の住民が気が付かない。

彼等には、長年を通じて、どうすれば、人は不愉快になるか、とか、気がが狂い出すとかのノウハウの蓄積がある。 もう10年以上こんな事を見て来て、同じ事を繰り返すのでよくわかる。

ネットの記事を見ていても最近、多くなったのか、具体的にっやられている嫌がらせを述べなくても、怒りをぶちまけたようなのが多いので、これもすぐ解る。また、嫌がらせをやられたのかと想像できる。

そのような口に出すのもおぞましいような嫌がらせをやられているのが手に取るようにわかる。

選挙が近づいて来たからやり出したのか、年末の忙しい時に、来年に備えて気分も新たにしようとしている時にこんな事をやられると、誰しも不快になる。 本当にとんでもない社会になったものです。

オスプレイの墜落が不時着かの騒ぎ

オスプレイの墜落か不時着かで騒ぎ政治問題化している。 オスプレイそのものは未来の乗り物で、今は軍隊が使っている。

事故現場の映像がニュースで少し流れていたが、映像で見る限り、いかにも墜落して機体が潰れたような感じがする。

普通、固定翼の飛行機ではあのような潰れ方をすると、たくさん死者が出る。 しかし、ニュースはこの墜落でけが人は出たようだが誰も死んでいないようだったと言っていた。

オスプレイに乗った事は一度もない。 しかし見れば、これは回転翼(ヘリコプター)と固定翼(普通の飛行機)の二つの機能を備えた新しい機種であるのは既にニュースでも言っていたし、見れば分る。

回転翼と、固定翼には今回の事故のように、不時着に際しては、ヘリコプターと固定翼では違いがあるし、海面に不時着する場合にも違いがある。 その点をはっきりさせて話さないから、焦点が定まらず、ウソつきとペテン師の論争のように、延々と続く。 そんなモノ聞いていたって、いっそうアホになりバカになるだけの事で、そこから得るものなど何もない。

ヘリコプターは海面に不時着する際には、機体を横倒しにして落とす。 普通、 アメリカでは、ヘリコプターの操縦については、このように習う。

事故でヘリコプターが地上に着地する際、陸上ではオートローテーションと言って、エンジンとローターを繋いでいるクラッチを切り離し、機体の上の大きな羽根、ローターと言っているが、これをエンジンが止まっても、機体の重量で落下しながら回転するようになっているので、この方法で地上迄降りてゆく。 これにも決められた速度がある。 機体の前傾姿勢を調整し、所定の速度に保ちながら機体を落下させる。

このようにして空中でエンジントラブルなどの事故が起こっても、無事に着地できるようになっている。

しかし、ヘリコプターでも、沖縄での事故のように、海面に落とす場合は、例え浅瀬の海面と言えども同じ方法を取らない。 陸上と同じ方法で海面に接すれば確実に死亡者が出る。

海面に落ちた場合、着水にしろ、機体が海面に真っ直ぐの状態で接すると、機体はそのままの状態で沈むが、ローターは回ったまま沈んでゆく。 ローターの威力はは、それだけで機体を空中に浮かばせるだけの馬力がある。 エンジンを切ったところですく止まらない。 そんな中でローターが回りながら、機内にいる者は機体から出て逃げようとする。

機体はローターが回りながら沈んでゆくのに、乗員は海面へと浮かび上がる。 こんな状態では、その回っているローターで海面に出て来た者の頭をはねてしまう事になる。 だから、ローターを海面に垂直にして回転を抑え、海面に上がって来る乗員とローターが接触しないように横倒しにする。 ローターのような威力のあるものが人間の頭にあたれば人間の頭など飛んでしまう。

だから、米軍の司令官はパイロットの技量が優れていたので、みんな助かったという。

これを知らないと、「あんな機体の潰れ方で何がパイロットの技量が良いものか。 いい加減な事を言うな!」と、なってしまい焦点が合わなくなり、こうして墜落だ、いや不時着だと論争が続く。
こんな理由から、海面に着水する時は、ペリコプターを横倒しにして、ローターを海面と垂直にすることによって、ローターの回転を水圧で抑えると共に、機体から逃れようと浮かびあがって来る者がローターに接触するのを避ける。 これが原則。

オスプレイは、ヘリコプターと固定翼の両方を備えた機体であるので、陸上近くでは、着地に向けてヘリコプター機能を使って、ローターを上に向けて着陸態勢を取っていたものと思われる。 又、海面が陸地に近く浅瀬だったとしても人間の背丈以上だと、乗員がは海面へと浮上する際には、述べたような悲惨な状況が生まれる。

空から見ていると浅瀬に見えても案外、深さがある。 だから、海面に着水する時の原則を守ったように思えるし、こうして乗員は助かり、司令官はパイロットの技量を称えた。

このように見れば、テレビで、米軍の中将がカメラに向かって怒っているような顔を映して悪印象を与え印象操作をしているようだったが、言っている事に特に不合理な点は見つからない。
ところが、昨日、3K新聞の記事で、空中給油でホースがプロペラにあたり、それで事故が起きたと説明があり図解入りで載っていた。

空中給油など、大変難易度の高い技術だし、そんなものを基地近くでやるだろうか。

それにホースのつなぎ方が、考えるとどうもおかしい。給油機が前方からオスプレイに給油している図だったが、更に、オスプレイのローターは前に向いてプロペラの状態だった。ローターと兼ねているだけにプロペラも大きい。

これだと、給油ホースがオスプレイの正面に向かって、図解のように出していると、「どうかプロペラに接触して頂戴」と言わんばかりの状態になる。 そんな危険な事をするだろうかというのが大きな疑問。

オスプレイは機体も大きいし、むしろオスプレイが他機、戦闘機などに給油するなら合点が行く。 それもプロペラの危険をさらさない後方から、他機に給油するとかなら合理的だけれど、それをわざわざ大きなプロペラの回っている方向へ他機から給油ホースを向けて出すなど、少し考えればおかしい。 ましてオスプレイのローターは飛行機のプロペラ機より大きいし、プロペラの風圧でホースが巻き込まれてしまう。

日本にもヘリコプターのパイロットは多い。 こんな理屈くらい知っているはずだ。 それなのに、知っている者は黙り、全く知らない門外漢だけが声を大きく、ニュースからワイドショーに至るまで、大勢で喋る。 こんな集団を前にすると、まともな人は姿も見せなくなる。こうしてウソつきとペテン師の論争のようになり、まともな点にはたどり着けず。 大きな音を口から出して騒いでいるだけになる。

そして黙ってじっとしていると、ネコの金魚すくいのように、金網で金魚鉢をふさいで、ネコに金魚すくいが出来ないようにしても、ネコが金魚鉢の上に座り続けるようなもので、

金魚がおびえて動かないので、ネコに、「とっとと、どこかへ行け」と言っても、

「何もしていない。金網があるのに、金魚すくいなど出来る筈がない。 金魚がじっとして動かないのは、金魚の思い込みによるものである」と、ネコが屁理屈をこねて平然としているのと同じになる。
ウソつきとペテン師がいくら論争など、いくら聞いたところで、バカになることはあっても、得るものは何もない。 メディアを使って声を大きくして喋っている者だけの都合の良いようにしか物事は進まない。 こうして世論を押し曲げてゆく。

最近のニュースでは、こんなニュースがあった。

「母親がアレルギーを持っている子供に牛乳100ミリ飲ませた疑いで、殺人容疑で逮捕した」

それが殺人にあたるのかどうか、常識で考えれば、誰しもおかしいと思う。

我々は知らないでアレルギー物質を含んだものを飲んだり食べたりしている事も多い。 食品に混じっていても、気が付かないで飲んだり食べたりしている。 今の時代には、完全に避ける事など出来ない。

自分もアレルギーだが、全くアレルギー物質を取らずに長い間、生活していると、少しでもそんなものを取り入れると敏感に反応する。

自分の体験だけれど、ある食品がアレルギーだと分かっていても、少々のことは我慢して採っていると、アレルギーが起きても、そんなに大きく反応しなくなる。
ニューづで母親が100mlの牛乳を飲ませたと言っていたが、100mlなどわずかな量でしかない。 身体になじませる為に飲ませたのなら、生きていく上で必要な事だし、こんな事で殺人罪で逮捕されるなど、それこそ、そちらの方が恐ろしい。 悪者創りが盛んな世の中だから、こうしてどんな事でも言いがかりを付けてくる。

食品にアレルギー物質を表記するのは、買い手に注意を促すにはよいし、義務でもあるべきだが、それ以上の事をするべきでない。 そんな事を他人に強制するものでもない。

それを口にしたものが、それぞれ自分で判断すればよい事で、それに食べた本人が一番よく知っている。 その判断迄、他人が取り上げて、干渉して押し付ける事の方が、異常なのです。 例え、食品アレルギーでも、それほどの事もなく過ごしている人も多い。 それにアレルギーの発作も身体の調子にもよる。

今の社会は、すぐ他人の生活に入り込み覗きたがる。 やっているのは集団の1構成員のようだが、他人に利用されるだけのお粗末な人間だから、こんなおぞましい事をしていても、それを正当化する。

「金魚が動かないのは、金魚の思い込みによるものである」などと言って、金魚鉢の上にネコが座り続けさせるのと同じ。

by FUJII Yoshifumi